Otaniemiの教会 [北欧旅行記]
気を取り直して、
次は、このヘルシンキ工科大学内にあると言う、教会を目指したんですが…
まず、最初に聞いた学生さんは
「そんなの知らない」
という答えが…
実は、行きたかった割にはちゃんとした資料も手元になく、次の学生さんには持ってきた建物の白黒コピーを見せて聞いてみると、
「こんな建物がここから500mほど先に行ったところにあったような…」
さらに、その通りに林の中を先に進むと、太い道路とかが色々交差したところに出てきたので、更に次の学生さんに聞く。
「あぁ、これなら200mほど先にあるよ」
さっきのところからそれくらい歩いてきたような気がして、これは確実に近づいてきていると確信。
念のために、さらに進んだところで最後に聞いてみると、
「その建物の裏にありますよ」
しかも、masudaさんはフィンランド語で聞いたのに、英語で返すとは、さすがヘルシンキ工科大学の学生さん。
前置きがとても長かったんですが、それくらい良く来れたなあとしみじみ思ったもので。
そして言われた方に行くと、間もなく標識と何かで見たことのある林の中の小路がありました。
で、ついに到着!
この“オタニエミの教会”は、
ヘルシンキ工科大学の学生村内にあり、ヘイッキ&カイヤ・シレン夫妻により設計されたものです。1956年に、学生たちが中心となり、寄付金などで資金を集め、建設・完成しました。1976年に放火により全焼するという惨事に見舞われましたが、再びほぼ元のデザインで復元がなされました。
<↑裏側から眺める> <↑エントランスに向かう> <↑エントランスより>
<↑礼拝堂の正面側>
<↑十字架は建物の外>
<↑エントランス側・ハイサイドライトが光をもたらす(左)・洗礼が終わり家族たちが集まってます(右)>
日本の著名な建築家も、多くがこの地を訪れ、後の建築作品に大きな影響を与えたとも言われています。
そんな建物なので、「何をおいても!」と意気込んで来たんですが…時が経っても色褪せない、空間の質の高さ(使っている材料とかでは量れない)を感じました。
ここに来て、すでにこの旅のクライマックス感さえ漂ってきたほどです。
しかし、まだまだ続きますよ。
つづく>>>
ちなみに、場所はたぶんこの辺↓
次は、このヘルシンキ工科大学内にあると言う、教会を目指したんですが…
まず、最初に聞いた学生さんは
「そんなの知らない」
という答えが…
実は、行きたかった割にはちゃんとした資料も手元になく、次の学生さんには持ってきた建物の白黒コピーを見せて聞いてみると、
「こんな建物がここから500mほど先に行ったところにあったような…」
さらに、その通りに林の中を先に進むと、太い道路とかが色々交差したところに出てきたので、更に次の学生さんに聞く。
「あぁ、これなら200mほど先にあるよ」
さっきのところからそれくらい歩いてきたような気がして、これは確実に近づいてきていると確信。
念のために、さらに進んだところで最後に聞いてみると、
「その建物の裏にありますよ」
しかも、masudaさんはフィンランド語で聞いたのに、英語で返すとは、さすがヘルシンキ工科大学の学生さん。
前置きがとても長かったんですが、それくらい良く来れたなあとしみじみ思ったもので。
そして言われた方に行くと、間もなく標識と何かで見たことのある林の中の小路がありました。
で、ついに到着!
この“オタニエミの教会”は、
ヘルシンキ工科大学の学生村内にあり、ヘイッキ&カイヤ・シレン夫妻により設計されたものです。1956年に、学生たちが中心となり、寄付金などで資金を集め、建設・完成しました。1976年に放火により全焼するという惨事に見舞われましたが、再びほぼ元のデザインで復元がなされました。
<↑裏側から眺める> <↑エントランスに向かう> <↑エントランスより>
<↑礼拝堂の正面側>
<↑十字架は建物の外>
<↑エントランス側・ハイサイドライトが光をもたらす(左)・洗礼が終わり家族たちが集まってます(右)>
日本の著名な建築家も、多くがこの地を訪れ、後の建築作品に大きな影響を与えたとも言われています。
そんな建物なので、「何をおいても!」と意気込んで来たんですが…時が経っても色褪せない、空間の質の高さ(使っている材料とかでは量れない)を感じました。
ここに来て、すでにこの旅のクライマックス感さえ漂ってきたほどです。
しかし、まだまだ続きますよ。
つづく>>>
ちなみに、場所はたぶんこの辺↓
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